『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子
📁感動小説 【私の評価】★★★★★(92点)
歳を取ってくると、人は死と向き合うことになります。
それがどういうものなのか、誰も教えてくれません。
いえ、教えられるものではないのです。
こればかりは、自分で向き合うしかないのです。
なぜならば、自分の歩んできた人生は自分にしかわからないものであり、死に向き合って出てくる感情は自分でしか受け止めることができないからです。
それでも、私たちは知りたい。
年老いて、静かにヒタヒタと迫ってくる、得体のしれない死に直面せざるを得ない時、人は何を考え、何を感じるのだろうか。
この作品の主人公の桃子さんは、何でも考え込んでしまうおばあさんです。
今までの人生を振り返り、残されたこれから先の短い時間を眺め、そして一人で孤独に置かれている現在で、桃子さんの心の中には、いくつもの相反する考えや感情が、次から次に湧き起こってきます。
それはまるで、「小腸の柔毛突起」とこの作品では表現していますが、無数の柔毛突起たちが、好き勝手なことを、桃子さんの心の中で叫び始めます。
傍から見れば、とてもおかしいです。
年を取って、仙人のように物事を悟って、静かに座して死を迎える、そんな姿とは対極です。
桃子さんは、決して生に執着しているわけではありません。むしろ、早くお迎えが来てほしいと願っていると言ってもいいと思います。
ですが、一方では、ただ死を迎えるだけの今の生に、これでいいのだろうかとも考えてしまうのです。
そして、昔、無くしてしまった夫、お金の無心しかしない娘、そういった今までの自分の人生への想いがのっかって、桃子さんの心の中は、いろんな柔毛突起たちが叫ぶ感情や考えで、ごちゃごちゃしてしまうのです。
そういった桃子さんの心の中に触れると、死に直面して、終始、一貫した考えや感情で押し通せる人など、いないのかもしれないと思います。
悩んで落ち込んだと思ったら立ち直り、立ち直ったと思ったら涙を流す、それが人間というものなのかもしれません。
この作品には、そのような桃子さんの心の動きが、そのまま素直に、剥き出しで書かれています。
そして、それがうるさくなく、読者の心にスッと入って来るのは、この作品が東北弁で書かれていることも功を奏しているのだと思います。
私は東北弁はわかりませんが、そういう人でも文脈から意味がわかるようになっています。
方言の良さ、それは、方言を使うことで、心の一番底にある、心の中の一番の真の部分を出すことができるということは、この作品の中でも書かれています。
作者の若竹千佐子さんは、この作品で史上最年長となる63歳で第54回文藝賞を受賞されています。
老年期を題材にした小説は、老年である作者だからこそ描けることが多くあると思いますし、この作品がまさにその良い例だと感じます。
おばあちゃんが、何を考えて、日々を暮らしているのか、それを理解するための一助にもなる作品だと思います。
おススメです。