小説と映画の違い 「おくりびと」からの考察

作品解説

はじめに

小説と映画の違いって、何でしょうか。

「おくりびと」という作品から、考察してみたいと思います。

「おくりびと」は映画化されています。

また、小説として本にもなっています。

同じ作品を、映画を見ながら、同時並行で小説を見ていくと、映画と小説の違いが明確にわかります。

それを実行してみた結果を、以下に書きたいと思います。

小説は文字、映画は映像と音

小説は文字を使って表現します。映画は映像と音を使って表現します。

小説は登場人物の内面を文字で書けます。「僕はいらいらしながら答えた」というように。

でも映画はそうはいきません。いらいらしながら答える様子を、表情や態度などの目に見える形で表現する必要があるのです。

逆に、映画は小説では出せない音や音楽を使うことができます。

視覚だけでなく聴覚を使うことで、映画は見る人に、現実感を与えてくれます。

小説は饒舌、映画は端的

小説は文字で全てを描く必要があります。風景、登場人物の外見、内面すべてです。

ですので、どうしても文字数を尽くして書いていく必要があります。

一方で映画は、映像を見せれば一発です。

「雪が降り積もった田畑の上を、白鳥の群れが隊列を組んで飛んでいく。その先には大きな山が見える」などと言葉を連ねなくとも、その映像を入れれば、見る人は受け取ることができるのです。

小説は主観的、映画は客観的

これは私の感想に留まるかもしれませんが、小説の場合は一人で自分のペースで物語の世界に入っていきます。

ペースの調整は自分でできます。

主人公に自分を重ねて、共感しながら、物語の世界に入り込んでいくことができる自分なりのスピードを調整しつつ、小説を読んでいくのです。

逆に言うと、小説は視覚だけなので、その文字に集中して物語の世界に入っていかなければ楽しめない代物なのです。

一方の映画は、見る人のペースは考えてくれません。フィルムですから、1.5倍速とか0.75倍速にしない限り、一定のスピードで初めから終わりまで進んでいきます。

映画は、映像と音がありますので、現実世界と似ています。入り込もうとする努力は小説ほどいりません。見れば自ずと入っていくことができます。

小説は自分の物語として入り込む、映画は少し距離を空けて他人の物語を味わう、そんな違いがあるのではないかと思います。

小説を映画化するとどうなるか。

小説を映画化すると、全く別物になるとよく聞きます。

小説の作者の意図とはかけ離れたものに改変されたものもあるでしょう。

ですが、小説と映画はそもそも別物なのですから、全く同じになること自体があり得ないと言えます。

「おくりびと」を例に考察したいと思います。

「おくりびと」は百瀬しのぶさんが小学館文庫から本を出しています。

映画「おくりびと」は、監督は滝田洋二郎さん、脚本は小山薫堂さん、音楽は久石譲さんです。

なぜ、小説と映画とは異なるものになってしまうのか、考えてみたいと思います。

小説から脚本になるところでの変更

まず、小説はそのまま映画にはできません。

上に書いたように、小説では登場人物の内面が書いてありますが、映画ではそれを表情などで表すようにしないといけません。

ですので、映画化するためには、小説を脚本として書き直す必要があるのです。

映画の尺に合わせる改変

映画は尺が決まっています。

長くても二時間ちょっとにしなければなりません。

ですので、映画はわき道に逸れたり、本筋とは不要な絵を撮っている暇はないのです。

このため、小説に書かれているもののうち、必要不可欠なもの以外は、固まりごと削除されたり、圧縮されたりします。

「おくりびと」を見ていても、小説のここの部分が全部飛ばされているとか、かなり圧縮されていると感じる部分は多くありました。

その部分は、小説で読むためには、物語に入り込むために必要な部分ですが、映画で見る分には冗長すぎて不要な部分になるのです。

音と音楽

映画特有のものとして、映像に加えて、音を付けたり、音楽を流したりすることができます。

これが映画の最大の強みです。

「おくりびと」では、主人公はチェロを演奏します。

映画では、実際に主人公のチェロの演奏が、この作品のテーマ曲のように、終始流れることで、作品の雰囲気を固めています。

これだけでも、小説と映画は、印象ががらっと変わるのです。

よい意味での改変

最後に、映画「おくりびと」は、実はセリフも小説とは変えている箇所があります。

特に重要な箇所のいくつかは、小説と映画とでは、少し言い方が変わっているのです。

セリフについては、言葉・文字ですから、映画化によって必ずしも変える必要がない箇所です。

ですが、これは映画を見ると、映画で使われたセリフの方がよりよくなっていると感じることができるのです。

これは、脚本家の努力かもしれませんし、監督の発案かもしれません。誰のアイディアなのかはわからないのですが、映画化には多くの人が関わりますので、多くの人の手や目に触れることで、より磨かれたセリフになるということがあるのではないでしょうか。

おわりに

いかがだったでしょうか。

もし興味を持っていただいた方は、小説「おくりびと」を片手に、映画「おくりびと」を見ると、面白い発見が多くあると思います。

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